美大合格のデッサン力をつかむ

画用紙の質感は頼りがち。
全ての紙の目をつぶす勢いで描こう。

画用紙の質感より、モチーフの質感を

画用紙は、エンボス式といって表面に凹凸があり、柔らかい鉛筆などをあてればそれらしい質感※が出てくる紙です。

※図で言う上側の状態です。

それゆえに、アタリをつけてカタチとってベースまでつけると、描き込みをしなくとも、一見上手いかのようなデッサンができあがってしまいます。

もう言いたいことが分かってしまったかもしれませんが、

いくらそこで上手そうに見えても、それを完成にはしないことが肝心です。

 

それはある意味で、画用紙の紙の目を活かしたデッサンなのかも知れません。

ですが、それは大学側が受験にて求めているものではありませんよ。

材質を表現する力もさることながら、「完成させることのできる強いエナジー」も求められています。

カタチや見せ方が完璧かつ特殊なものを除いて、ベースの段階で出された作品は確実に「手抜き」と見られてしまいます。

逆に言えば、残された紙の目に描きこむことで得られる得点のチャンスとも言えるでしょう。

 

紙の目を越えて質感を描く

画用紙の紙の目は、描いたとき本当にいい味を出します。

しかしそれはあくまで画用紙の質感。

様々なモチーフの質感を描き出そうとしたとき、画用紙の質感のままだと今一歩な完成度となってしまう。

そこにビンが描かれるとしたら、ビンはボコボコの質感ではないので、紙の目を全部つぶしてツルツルしたガラスの質感にする描き込みが必要です。

このデッサンは大学時代に描いた私の自画像です。

エンボス式の画用紙なので、鉛筆でベースをのせると冒頭上部のように紙の目がしっかりと現れてきます。

それだけでは髪の毛を表現できませんから、冒頭下部のようにできるかぎり紙の目をつぶしていますね。(…今見るとまだまだ描けますが )

 

 

紙の目はまだ描ける余地となる

多くの受験生にとって、画用紙の質感はカッコイイと思われがちです。

しかし講評する講師や大学教授たちにとっては、 画用紙の質感など何千何万と見てきているわけですから、ある種「ありきたりな印象」を持たれてしまいます

画面からは、「あとは画用紙の質感がうまいようにみせてくれる」とごまかしごまかしな印象すら受けます。

紙の目が出ていてはダメ!とまでは言いませんが、モチーフはツルツルしているのに画用紙のボコボコの印象だったらおかしいでしょう?

あなたがもし、デッサンで高得点をとる目標を持っているなら、紙の目を全部自分で描き変えるくらいの意気込みを持ってください。

やはり全体的に描ききることのできている子は少ないように思います。

紙の目がある以上は、そこに表現ができる余地があると思ってください。

あなたの作品に「質感のスパイス」を

これは手のデッサンに限ったことですけれども、受験生の描く手のデッサンは、紙の目なんてほとんどつぶしてはいません。

もともと紙の質感と皮膚の質感の相性が良いのもあってか、画用紙の目は2割もつぶれることなく手のデッサンが描かれています。

手はとても複雑な面の集合体です。手のひらと指のおおまかな面がありますが、関節やしわといった細かな面もあり、面だらけです。

そのため、曖昧な質感よりも面の変化やアイディア、すなわち光の変化や構成が手のデッサンでの競いどころと認識されているように思います。

色幅や光の変化といった「明度」は、それほど紙の目をつぶすことなく表現できます。

ですが、さきほど言った通り紙の目が残っていると、やはりありきたりであまり良い印象を与えることはありません。

構成は良いのに、見ごたえのない情報量だったら…

 

そのデッサンに「質感」が加わればどうなると思いますか?

 

明度でしか描かれていない手のデッサンが多く並ぶ中で、紙の目に頼ることなく質感まで自分自身で描かれた手のデッサンがあるとすれば、それは文句なしに高得点でしょう!

多摩美グラフィックの試験では、紙の目が質感を生み出す事のない表面がサラサラしたクレッセントボードが画面になるので、否応なく自分で質感まで描かなければなりません。

ですが、こうした質感まで表現することを日々のデッサンで培っておけば、描く紙が何になろうが自分の表現したいものが描けることでしょう。

(逆に画用紙に頼っていた人は描きづらくて調子が出なかった例もあります)

ともかく、みんなが紙の目に手を付けていないそのスキに、しめしめと自分の作品の質感をカッチリ出してみてください!

 

さあ、進んでいきましょう!